「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
-狂熱のシーズン- 清義明のブログ
御用牙参考図書
「狂熱のシーズン―ヴェローナFCを追いかけて」
サッカーを新しい信仰として選ぶ人のために
「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
サッカーサポーターとは何者なのか?
ゴール裏のクルヴァスッドで、アウェイの駅で、遠征のバスの中で、サッカーは歪んだ現代の宗教として輝き続けていく。その様を、まさにサポーターのど真ん中でレポートするノンフィクションであり、その神話体験を愛すべき「ブリガーデ・ジャロ・ブルー(黄青旅団)」とともにイタリア中を駆け巡るひとつの旅行記である。
サッカー「ファン」は、この本をきっと理解できないだろう。うわべに出てくるレイシズムや下卑たエピソードを、無理やりにサポーターという人種にひっかけて語るぐらいしかできやしない。だから、この本は、サッカーを単なる美学的な体験として受け取ることができないで、日本中を旅して歩く本当の「サポーター」にとって必読の一冊。
著者は、イタリア在住の「現在もっとも精力的な活動をする英国人作家」であるTim Parks。
教養にあふれた筆致とサッカーカルチャーの分析は、必ず新しいサッカー理解のパースペクティブをもたらし、あなたをアウェイの遠征に狩り出します。
「東京大学応援部物語」
「応援する」とは何なのか?
「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」 「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
応援に垣根はない。例えその対象がなんであれ、その精神的かつ行動的な営みは変わらない。 本書は、東京大学の応援部のルポタージュであり、同時に応援するというのはどんな行為なのかを、それぞれの学生達の横顔とともに語られている。 彼らの活動を知れば、いかにサッカーサポーターの精神論がまだ純化されていないかを知ることになると思う。 まだまだ俺らには雑念が多いね。 若々しい青春群像に引かれるもよし、の一冊。
サッカーを新しい信仰として選ぶ人のために
「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
サッカーサポーターとは何者なのか?
ゴール裏のクルヴァスッドで、アウェイの駅で、遠征のバスの中で、サッカーは歪んだ現代の宗教として輝き続けていく。その様を、まさにサポーターのど真ん中でレポートするノンフィクションであり、その神話体験を愛すべき「ブリガーデ・ジャロ・ブルー(黄青旅団)」とともにイタリア中を駆け巡るひとつの旅行記である。
サッカー「ファン」は、この本をきっと理解できないだろう。うわべに出てくるレイシズムや下卑たエピソードを、無理やりにサポーターという人種にひっかけて語るぐらいしかできやしない。だから、この本は、サッカーを単なる美学的な体験として受け取ることができないで、日本中を旅して歩く本当の「サポーター」にとって必読の一冊。
著者は、イタリア在住の「現在もっとも精力的な活動をする英国人作家」であるTim Parks。
教養にあふれた筆致とサッカーカルチャーの分析は、必ず新しいサッカー理解のパースペクティブをもたらし、あなたをアウェイの遠征に狩り出します。
「東京大学応援部物語」
「応援する」とは何なのか?
「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」 「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
応援に垣根はない。例えその対象がなんであれ、その精神的かつ行動的な営みは変わらない。 本書は、東京大学の応援部のルポタージュであり、同時に応援するというのはどんな行為なのかを、それぞれの学生達の横顔とともに語られている。 彼らの活動を知れば、いかにサッカーサポーターの精神論がまだ純化されていないかを知ることになると思う。 まだまだ俺らには雑念が多いね。 若々しい青春群像に引かれるもよし、の一冊。
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以前から、考えていたことなんですが、ちょっと時間できたので、つらつらと書いてみようと思います。
長いのですが、まあゆっくり読んでみてやってください。
主に、ヴェテラン(退役軍人)はどうやって、現場サポートにかかわるかって話と、ヨコハマのゴール裏の歴史の深みをどうやってつくっていくのかという話です。
◇サポーターは歳をとる
「サポーター3年説」というのを教わったのは、M'sの松ちゃんだったか、ウルトラの奥山さんだったか。
いずれにせよ、もうずいぶん前の話。
曰く、「サポーターの平均寿命は3年。特に女子は3年でほとんどは入れ替わる。」
これは経験則から出てきた説なんだろうけど、実際そういうもんだということは、ここまで横浜のゴール裏に長居するようになっている自分にはわかるようになってきた。
まあ確かに、この3年というのは、説得力がありそうな話ですよ。
学生や社会人の生活の変化を考えると、なるほどだいたい3年というのは節目になりますから。
この3年説の理論の後半には、「女子はほとんど入れ替わる」というのがあるけれど、これはだいたいが恋愛が絡むからなんだよね。男ができて、それで別れて、または子供ができて、そんなこんなのいろいろあって、やっぱりいなくなる。
そして、この説には、続きがあります。
つまり、サポーターの平均寿命は3年だけれども、「これを超えると、一生ゴール裏にいるようになる」というもの。
これからしてみると、ゴール裏で何かを成し遂げたいなら、まずは3年以上がんばれってことですね。
だって、3年でいなくなるようなヤツを信用して、何かを託したりはできないもの。
オレがゴール裏入り込んできてから8年か。
まあ、年寄りになって、こういう話がつくづく分かってくるようになるわけです。
だから、みんなあせらず、長くやろうよ!
・・・としてみて、長くやっていけば、今度は人間は歳をとる。
最初、YOKOHAMA HEADSを立ち上げた頃、自分は誰にも言わなかったけど、一人で誓っていたことがありました。
40を超えたらゴール裏の最前線から撤退する、今やっていることも全部若いヤツに渡す!というものがそれ。
理由は簡単で、年寄りが脚立にのってトラメガ乗っているのはかっこ悪いから。
それはヨコハマのためには決してならないことだろうし。
なんだかんだと紆余曲折があり、その後には本来オレの老後を過ごすための砦としてつくったはずの、JUST GEDOというコンセプトが全く思いもよらず大きくなって、結局しばらくはゴール裏の最前線にたち続けることになったわけです。
もともと、JUST GEDOのコンセプトは、呑んで騒ぎながら、けれど声の応援だけは大音量音圧でやる、そういうカーニバル&フェスティバルがコンセプトだったのです。
だから、むしろ呑んだくれのアビディなんかはそのコンセプトからすれば正統派なわけですわw
そして、それを、グループ時代からバカバカしくてたまらなかったシート貼りとかと、無縁のところでやろうというもの。
ストリート(通路)でやろうぜ!っていうのが、そのポイント。
ちなみに、これ、完全に2004年ぐらいの爆酒会のコンセプトの丸パクリねw
爆酒会からもたくさんのものを教わりましたよ。
◇個サポに戻る
しばらく、トラメガもったり、いろいろ走り回って盛り上げさせていただいたりして、それから今年で引退するぜ!と思っていたところで、これまたいろいろありまして、ヘンなカタチで最前線を引退して、個サポに戻ったわけですが、まあ、こういう言い方が適切かどうかは知りませんが、逆にいい機会になったわけです。
その爆酒会エリアだった位置をそのままもらい、ブラジルエリアとして使わせてもらっているわけですが、これはある意味、何年も前から、GEDOの前から考えていたことを、今実現しているわけです。
・音圧重視
・最前線は若いもんにまかせる、基本クチは出さない
・応援って観点からしたらエゴに過ぎないシート貼りをやらずに、列の最後にスタに入る
・毎日、町内の神輿状態、つまり楽しむ
・おまけ:「ゴール裏ブラジル化構想」(女子が多いならそれを強みにするために、全員ビキニ)
これは、もう完璧に最前線引退の後にやろうと、昔から考えていた理想系なわけで、しかもグループとかはもうみんなにまかせて、本当に個サポでやるという覚悟も、そのまんまやれているのです。
これはちょっとした幸せですよ、自分にとって。
「コア」とか「グループ」とか、そういう括りが、ヨコハマにはあるみたいですが、そういう基準でいうと、ノンセクトの個サポが今のオレの立ち位置。
何年か前に戻ったわけです。そして、コアやグループという立場でできないことをやれている。
(NPOハマトラというのがありますが、ちょっとアレは括りが別だし、目指している次元が違うので、今でもオレはスタでは個サポなわけです)
時々、前でやってないとつまらないでしょ?戻らないんですか?トラメガもたないんですか?というようなことを言ってくれる人もいるんですが、これはスミマセンが全くないです。
今、自分は非常に幸せにサポートさせてもらってますし、個人の一兵卒でやれることに、むしろプライドを感じているのです。
昔はさんざんつるんでいるグループのヤツはダメだ!とか言われて、それなら一人でまたやってやるよ!と思っていた時期もあったりしたので、まあ本当に楽しいわけです。
だから、目先の勝ち負けにはエキセントリックに右往左往しなくなってもいます。ヨコハマと一緒にいて、それでサポートできているだけで幸せなんですわ。
◇ヨコハマゴール裏の歴史の断層
ところで、ヨコハマのゴール裏の歴史というのは、断層と亀裂が走っているのに気づいている人はいるのかな?
ヨコハマのゴール裏にいたキーマンで、うまく引退に成功した人ってほとんどいないんですよね。
それぞれ抜き差しならぬ事情があった故なのは、いうまでもなし。
だから、うまく歴史が蓄積されていない。
町内の祭りで、神輿かつぐにしろ、だいたい年寄りがいるわけじゃないですか。
で、年寄りは神輿担がないけれど、あれこれ作法や考え方や技術を教えていく。
時には、頑固者のジジイがダメ出ししたりするわけですよ。
あれが、残念ながらヨコハマにはない。
それが正しいものか、検討外れな時代錯誤なものなのかも知れないけど、まあ爺さんの言うことには、とりあえず耳を傾けるわけですよ。
先代に対するリスペクトは忘れてはいけない。けれど、それにかじりついているだけなのもいけない。
なんの文化もそうやって積み重ねられて、それで歴史はつくられていく。
肯定と否定を織り交ぜながらじゃないと、深みは出ないのですよ。
例えば・・・・なんだか、鳥栖戦でゴール裏でバモっていたヨコハマ・サポーターがいるという話を聞きましたが、あれ、やっぱりね、かなり怒っているベテラン(英語でいうところの「退役軍人」の意味です)は、いるわけだったりするのです。
何年か前に、同じような話がネタで、ゴール裏史に残る(笑)大乱が起こったりしているのが、なんか伝わってないんだなあ~と思います。それを知っていて、それでもあえて、オレはやる!というならいいんですが。
ヒロアキとかもこれと似たような話で、相当説教されていたよなw
懐かしい話です。
ヒロアキにはヒロアキの考えがあるだろうけど、きっといろんな考えの人がいて、それはもうポリシーとポリシーがガチでぶつかり合うレベルのことなのだとわかっているだろうから、きっともうそういうことはないだろうけど。
カレにもいろいろな義務と責任が生じているしね。それはいいことだと思います。
ちょっと話がそれました。
今回の鳥栖の応援うんぬんの問題も、そういう歴史の深みの中で問われる問題だと思うわけだったりします。
さらにいうとと、ベテランはもっと発言力もっていいと思うし、それを積極的に伝えていくべきだとも思います。そして、それをどのように受け取るかはそれぞれの立場。
それが深みを作り出すのだから、それぞれ妥協してしまってはいけないのです。
そうしてオレは、そういうクソ爺でありたいと思うし、それによって、ヨコハマのゴール裏の歴史の一部として何かを伝えながら、そうしてサポートに厚みを出していけたらと思う。
◇「音圧派」とは
さて、その町内会の年寄りである退役軍人(ベテラン)として散った人は、マリーシアみたいに2階に行くのもあるだろうし、それぞれのかかわりあい方をするでしょう。
で、自分としては、ひとつ考えがあって、それが表題の「音圧派」って構想なわけです。
これは何かといえば、退役した人や、故あって跳んだり、旗振ったり、煽ったりできない人は、音圧に徹してみれば!って話です。
しかも、ゴール裏のど真ん中の屋根下あたりで。
理由は以下のとおりです。
自分がバンデーラ出して、跳べよ・声出せよ・旗触れよ!と煽っていた時代に、つくづく感じていたことなんですが、選手から見たビジュアルの応援重視して、運動量をMAXまでもっていって90分って、相当つらいことなんですよ。
ぶっちゃけ、声をMAXにしながら、それで跳んでいるなんていうのは、かなり難しく、だからゴール裏の中心地帯は、むしろ声量に弱点がある。
ちょっと勘違いしてほしくないのは、だからって跳ぶやつは声出さなくていいなんて話じゃないからね。
昔、ヘッズ-GEDOと一緒にやってきて、それでなぜかチベットにいったまま消息不明になったクーニャンというツワモノがいたんだけど、ヤツなんて、跳びながら旗をぶんぶん振って、それでものすごい大音量で歌っていたからね。アレは本当に凄かった。バンデーラにいるものすべては見習ってほしいものだったよ。
そういうわけで、おまえらはビジュアルでがんばれ、目立つところでヤレ!そして、オレたちは、声で選手のみならず、おまえらもサポートする・・・というのが、音圧派の基本コンセプト。
◇音圧派はなぜ屋根下なのか
じゃあとにかく音重視で声出せれば、どこでもいいだろうって話になるかもしれないんだけど、ちょっとここもポイントがある。
ヨココクの屋根下エリアって、ピッチからだとほとんど暗くて見えないって知っている?
あの屋根下は、ビジュアル面では効果は著しく低いんだよね。
よく、屋根下で旗振っている人を見るんだけど、あれ、もったいないですよ。だって、ピッチからはほとんど見えないんだもん。
そうなると、あの屋根下っていうのは、応援にとって死にエリアってことになるわけですが、実はひとつだけものすごい利点があるんですよね。
それは、屋根がついている分、音が反響してものすごい音圧になること。
ヨココクの代表戦行った人はわかるだろうけど、あのしょぼい連中でも、みんな屋根下にこもっているから、けっこうな音圧になるんだよね。あれ、体感した人ならわかるはず。
音源が発生する場所は硬くて重いものに包まれて、しかも密閉されていればいるほど、深くて重い音になる。
これはオーディオマニアの常識です。
榴弾砲でもぶち抜けないような耐震構造の分厚いコンクリートに3方向包まれた屋根下、この音響効果があそこの強みなのです。
だけど、その反響した音圧が万能かといえば、これもまた実は違っていて、反響しているってことは、逆にいうと、肝心の外・・・つまりピッチに向けては、そんなに届かない。まだ二階のほうが、ピッチに声は届く。
反響しあって増幅した音量は、そこで渦巻いて、そしてその音圧は前列の連中には強力に聴こえてくる。
つまり前の方の最前線の連中を煽るにはぴったりの場所だということ。
跳ばない振らないという人ならば、そしてベテランの退役軍人ならば、最前線を煽るという意味もこめて、音圧に徹するのがよいのではないでしょうか?しかも一番効果的な場所で。
・・・というのが音圧派構想です。
まあ、サポーターを死ぬまでやってやる!と覚悟を決めたならば、それに対応できる様々な応援スタイルもあっていいと思う。
ただ、ちょっとずつでも、何かに役立てて、それができる範囲内で最大限の効果が生み出すように、いろいろみんなも考えてみるのがいいんじゃないかな。
例え歳をとったとしても、跳べないにしろ。そういう熱さの集積が熱狂をつくりだすんですから。
そういうわけで、次のヨココクで屋根下で会いましょう!
お台場のガンダムが話題になっているみたいだけど、ヨコハマに見も心も捧げた野郎ヲタなら、やっぱり曙町のガンダムだね!
それから、よく見ると、ガンダムってトリコロールに黄色が入った昔のニッサン自動車サッカー部とか1999年のユニみたいだね!!!
あらためて発見ですよ!
ちなみにこの店のサービスがガンダムと紐づいたものなのかは不明。
catwalkは値段も良心的らしいので、誰か潜入調査おながいします。
ところで、関係ありませんが、俺の友達のスコットランド人が言ってた、ワールドカップでどこを応援するのか?と俺が聞いた時に出た名言
「イングランドと戦う国全て」
そういうわけで、自分の考えとしては、三ツ沢の鳥栖にまわるのはGJかと思っています。
けど、あんまりやりすぎは、よろしくないニョロよー。
まあ、バカに対する嫌味ということでいいんでしょうけれどもw
それにしても、マイクも活き活きとしてやがんな、チクショー。
長いのですが、まあゆっくり読んでみてやってください。
主に、ヴェテラン(退役軍人)はどうやって、現場サポートにかかわるかって話と、ヨコハマのゴール裏の歴史の深みをどうやってつくっていくのかという話です。
◇サポーターは歳をとる
「サポーター3年説」というのを教わったのは、M'sの松ちゃんだったか、ウルトラの奥山さんだったか。
いずれにせよ、もうずいぶん前の話。
曰く、「サポーターの平均寿命は3年。特に女子は3年でほとんどは入れ替わる。」
これは経験則から出てきた説なんだろうけど、実際そういうもんだということは、ここまで横浜のゴール裏に長居するようになっている自分にはわかるようになってきた。
まあ確かに、この3年というのは、説得力がありそうな話ですよ。
学生や社会人の生活の変化を考えると、なるほどだいたい3年というのは節目になりますから。
この3年説の理論の後半には、「女子はほとんど入れ替わる」というのがあるけれど、これはだいたいが恋愛が絡むからなんだよね。男ができて、それで別れて、または子供ができて、そんなこんなのいろいろあって、やっぱりいなくなる。
そして、この説には、続きがあります。
つまり、サポーターの平均寿命は3年だけれども、「これを超えると、一生ゴール裏にいるようになる」というもの。
これからしてみると、ゴール裏で何かを成し遂げたいなら、まずは3年以上がんばれってことですね。
だって、3年でいなくなるようなヤツを信用して、何かを託したりはできないもの。
オレがゴール裏入り込んできてから8年か。
まあ、年寄りになって、こういう話がつくづく分かってくるようになるわけです。
だから、みんなあせらず、長くやろうよ!
・・・としてみて、長くやっていけば、今度は人間は歳をとる。
最初、YOKOHAMA HEADSを立ち上げた頃、自分は誰にも言わなかったけど、一人で誓っていたことがありました。
40を超えたらゴール裏の最前線から撤退する、今やっていることも全部若いヤツに渡す!というものがそれ。
理由は簡単で、年寄りが脚立にのってトラメガ乗っているのはかっこ悪いから。
それはヨコハマのためには決してならないことだろうし。
なんだかんだと紆余曲折があり、その後には本来オレの老後を過ごすための砦としてつくったはずの、JUST GEDOというコンセプトが全く思いもよらず大きくなって、結局しばらくはゴール裏の最前線にたち続けることになったわけです。
もともと、JUST GEDOのコンセプトは、呑んで騒ぎながら、けれど声の応援だけは大音量音圧でやる、そういうカーニバル&フェスティバルがコンセプトだったのです。
だから、むしろ呑んだくれのアビディなんかはそのコンセプトからすれば正統派なわけですわw
そして、それを、グループ時代からバカバカしくてたまらなかったシート貼りとかと、無縁のところでやろうというもの。
ストリート(通路)でやろうぜ!っていうのが、そのポイント。
ちなみに、これ、完全に2004年ぐらいの爆酒会のコンセプトの丸パクリねw
爆酒会からもたくさんのものを教わりましたよ。
◇個サポに戻る
しばらく、トラメガもったり、いろいろ走り回って盛り上げさせていただいたりして、それから今年で引退するぜ!と思っていたところで、これまたいろいろありまして、ヘンなカタチで最前線を引退して、個サポに戻ったわけですが、まあ、こういう言い方が適切かどうかは知りませんが、逆にいい機会になったわけです。
その爆酒会エリアだった位置をそのままもらい、ブラジルエリアとして使わせてもらっているわけですが、これはある意味、何年も前から、GEDOの前から考えていたことを、今実現しているわけです。
・音圧重視
・最前線は若いもんにまかせる、基本クチは出さない
・応援って観点からしたらエゴに過ぎないシート貼りをやらずに、列の最後にスタに入る
・毎日、町内の神輿状態、つまり楽しむ
・おまけ:「ゴール裏ブラジル化構想」(女子が多いならそれを強みにするために、全員ビキニ)
これは、もう完璧に最前線引退の後にやろうと、昔から考えていた理想系なわけで、しかもグループとかはもうみんなにまかせて、本当に個サポでやるという覚悟も、そのまんまやれているのです。
これはちょっとした幸せですよ、自分にとって。
「コア」とか「グループ」とか、そういう括りが、ヨコハマにはあるみたいですが、そういう基準でいうと、ノンセクトの個サポが今のオレの立ち位置。
何年か前に戻ったわけです。そして、コアやグループという立場でできないことをやれている。
(NPOハマトラというのがありますが、ちょっとアレは括りが別だし、目指している次元が違うので、今でもオレはスタでは個サポなわけです)
時々、前でやってないとつまらないでしょ?戻らないんですか?トラメガもたないんですか?というようなことを言ってくれる人もいるんですが、これはスミマセンが全くないです。
今、自分は非常に幸せにサポートさせてもらってますし、個人の一兵卒でやれることに、むしろプライドを感じているのです。
昔はさんざんつるんでいるグループのヤツはダメだ!とか言われて、それなら一人でまたやってやるよ!と思っていた時期もあったりしたので、まあ本当に楽しいわけです。
だから、目先の勝ち負けにはエキセントリックに右往左往しなくなってもいます。ヨコハマと一緒にいて、それでサポートできているだけで幸せなんですわ。
◇ヨコハマゴール裏の歴史の断層
ところで、ヨコハマのゴール裏の歴史というのは、断層と亀裂が走っているのに気づいている人はいるのかな?
ヨコハマのゴール裏にいたキーマンで、うまく引退に成功した人ってほとんどいないんですよね。
それぞれ抜き差しならぬ事情があった故なのは、いうまでもなし。
だから、うまく歴史が蓄積されていない。
町内の祭りで、神輿かつぐにしろ、だいたい年寄りがいるわけじゃないですか。
で、年寄りは神輿担がないけれど、あれこれ作法や考え方や技術を教えていく。
時には、頑固者のジジイがダメ出ししたりするわけですよ。
あれが、残念ながらヨコハマにはない。
それが正しいものか、検討外れな時代錯誤なものなのかも知れないけど、まあ爺さんの言うことには、とりあえず耳を傾けるわけですよ。
先代に対するリスペクトは忘れてはいけない。けれど、それにかじりついているだけなのもいけない。
なんの文化もそうやって積み重ねられて、それで歴史はつくられていく。
肯定と否定を織り交ぜながらじゃないと、深みは出ないのですよ。
例えば・・・・なんだか、鳥栖戦でゴール裏でバモっていたヨコハマ・サポーターがいるという話を聞きましたが、あれ、やっぱりね、かなり怒っているベテラン(英語でいうところの「退役軍人」の意味です)は、いるわけだったりするのです。
何年か前に、同じような話がネタで、ゴール裏史に残る(笑)大乱が起こったりしているのが、なんか伝わってないんだなあ~と思います。それを知っていて、それでもあえて、オレはやる!というならいいんですが。
ヒロアキとかもこれと似たような話で、相当説教されていたよなw
懐かしい話です。
ヒロアキにはヒロアキの考えがあるだろうけど、きっといろんな考えの人がいて、それはもうポリシーとポリシーがガチでぶつかり合うレベルのことなのだとわかっているだろうから、きっともうそういうことはないだろうけど。
カレにもいろいろな義務と責任が生じているしね。それはいいことだと思います。
ちょっと話がそれました。
今回の鳥栖の応援うんぬんの問題も、そういう歴史の深みの中で問われる問題だと思うわけだったりします。
さらにいうとと、ベテランはもっと発言力もっていいと思うし、それを積極的に伝えていくべきだとも思います。そして、それをどのように受け取るかはそれぞれの立場。
それが深みを作り出すのだから、それぞれ妥協してしまってはいけないのです。
そうしてオレは、そういうクソ爺でありたいと思うし、それによって、ヨコハマのゴール裏の歴史の一部として何かを伝えながら、そうしてサポートに厚みを出していけたらと思う。
◇「音圧派」とは
さて、その町内会の年寄りである退役軍人(ベテラン)として散った人は、マリーシアみたいに2階に行くのもあるだろうし、それぞれのかかわりあい方をするでしょう。
で、自分としては、ひとつ考えがあって、それが表題の「音圧派」って構想なわけです。
これは何かといえば、退役した人や、故あって跳んだり、旗振ったり、煽ったりできない人は、音圧に徹してみれば!って話です。
しかも、ゴール裏のど真ん中の屋根下あたりで。
理由は以下のとおりです。
自分がバンデーラ出して、跳べよ・声出せよ・旗触れよ!と煽っていた時代に、つくづく感じていたことなんですが、選手から見たビジュアルの応援重視して、運動量をMAXまでもっていって90分って、相当つらいことなんですよ。
ぶっちゃけ、声をMAXにしながら、それで跳んでいるなんていうのは、かなり難しく、だからゴール裏の中心地帯は、むしろ声量に弱点がある。
ちょっと勘違いしてほしくないのは、だからって跳ぶやつは声出さなくていいなんて話じゃないからね。
昔、ヘッズ-GEDOと一緒にやってきて、それでなぜかチベットにいったまま消息不明になったクーニャンというツワモノがいたんだけど、ヤツなんて、跳びながら旗をぶんぶん振って、それでものすごい大音量で歌っていたからね。アレは本当に凄かった。バンデーラにいるものすべては見習ってほしいものだったよ。
そういうわけで、おまえらはビジュアルでがんばれ、目立つところでヤレ!そして、オレたちは、声で選手のみならず、おまえらもサポートする・・・というのが、音圧派の基本コンセプト。
◇音圧派はなぜ屋根下なのか
じゃあとにかく音重視で声出せれば、どこでもいいだろうって話になるかもしれないんだけど、ちょっとここもポイントがある。
ヨココクの屋根下エリアって、ピッチからだとほとんど暗くて見えないって知っている?
あの屋根下は、ビジュアル面では効果は著しく低いんだよね。
よく、屋根下で旗振っている人を見るんだけど、あれ、もったいないですよ。だって、ピッチからはほとんど見えないんだもん。
そうなると、あの屋根下っていうのは、応援にとって死にエリアってことになるわけですが、実はひとつだけものすごい利点があるんですよね。
それは、屋根がついている分、音が反響してものすごい音圧になること。
ヨココクの代表戦行った人はわかるだろうけど、あのしょぼい連中でも、みんな屋根下にこもっているから、けっこうな音圧になるんだよね。あれ、体感した人ならわかるはず。
音源が発生する場所は硬くて重いものに包まれて、しかも密閉されていればいるほど、深くて重い音になる。
これはオーディオマニアの常識です。
榴弾砲でもぶち抜けないような耐震構造の分厚いコンクリートに3方向包まれた屋根下、この音響効果があそこの強みなのです。
だけど、その反響した音圧が万能かといえば、これもまた実は違っていて、反響しているってことは、逆にいうと、肝心の外・・・つまりピッチに向けては、そんなに届かない。まだ二階のほうが、ピッチに声は届く。
反響しあって増幅した音量は、そこで渦巻いて、そしてその音圧は前列の連中には強力に聴こえてくる。
つまり前の方の最前線の連中を煽るにはぴったりの場所だということ。
跳ばない振らないという人ならば、そしてベテランの退役軍人ならば、最前線を煽るという意味もこめて、音圧に徹するのがよいのではないでしょうか?しかも一番効果的な場所で。
・・・というのが音圧派構想です。
まあ、サポーターを死ぬまでやってやる!と覚悟を決めたならば、それに対応できる様々な応援スタイルもあっていいと思う。
ただ、ちょっとずつでも、何かに役立てて、それができる範囲内で最大限の効果が生み出すように、いろいろみんなも考えてみるのがいいんじゃないかな。
例え歳をとったとしても、跳べないにしろ。そういう熱さの集積が熱狂をつくりだすんですから。
そういうわけで、次のヨココクで屋根下で会いましょう!
お台場のガンダムが話題になっているみたいだけど、ヨコハマに見も心も捧げた野郎ヲタなら、やっぱり曙町のガンダムだね!
それから、よく見ると、ガンダムってトリコロールに黄色が入った昔のニッサン自動車サッカー部とか1999年のユニみたいだね!!!
あらためて発見ですよ!
ちなみにこの店のサービスがガンダムと紐づいたものなのかは不明。
catwalkは値段も良心的らしいので、誰か潜入調査おながいします。
ところで、関係ありませんが、俺の友達のスコットランド人が言ってた、ワールドカップでどこを応援するのか?と俺が聞いた時に出た名言
「イングランドと戦う国全て」
そういうわけで、自分の考えとしては、三ツ沢の鳥栖にまわるのはGJかと思っています。
けど、あんまりやりすぎは、よろしくないニョロよー。
まあ、バカに対する嫌味ということでいいんでしょうけれどもw
それにしても、マイクも活き活きとしてやがんな、チクショー。
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