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「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」 -狂熱のシーズン- 清義明のブログ
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御用牙参考図書
「狂熱のシーズン―ヴェローナFCを追いかけて」
サッカーを新しい信仰として選ぶ人のために

「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない建物のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられた者たちにしか明かさない。テレビでさえ、それを犯すことはできない。とらえ始めることさえできない」
サッカーサポーターとは何者なのか?
ゴール裏のクルヴァスッドで、アウェイの駅で、遠征のバスの中で、サッカーは歪んだ現代の宗教として輝き続けていく。その様を、まさにサポーターのど真ん中でレポートするノンフィクションであり、その神話体験を愛すべき「ブリガーデ・ジャロ・ブルー(黄青旅団)」とともにイタリア中を駆け巡るひとつの旅行記である。
サッカー「ファン」は、この本をきっと理解できないだろう。うわべに出てくるレイシズムや下卑たエピソードを、無理やりにサポーターという人種にひっかけて語るぐらいしかできやしない。だから、この本は、サッカーを単なる美学的な体験として受け取ることができないで、日本中を旅して歩く本当の「サポーター」にとって必読の一冊。
著者は、イタリア在住の「現在もっとも精力的な活動をする英国人作家」であるTim Parks。
教養にあふれた筆致とサッカーカルチャーの分析は、必ず新しいサッカー理解のパースペクティブをもたらし、あなたをアウェイの遠征に狩り出します。


「東京大学応援部物語」
「応援する」とは何なのか?

「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」 「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
応援に垣根はない。例えその対象がなんであれ、その精神的かつ行動的な営みは変わらない。 本書は、東京大学の応援部のルポタージュであり、同時に応援するというのはどんな行為なのかを、それぞれの学生達の横顔とともに語られている。 彼らの活動を知れば、いかにサッカーサポーターの精神論がまだ純化されていないかを知ることになると思う。 まだまだ俺らには雑念が多いね。 若々しい青春群像に引かれるもよし、の一冊。

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今回の一件、これはダメだなあ・・・というポイントをまとめてみた。


強化の方針と選手の出し入れに関しては、それが残念だったにしても、まだ理解できなくない問題だと思う。
皆が、納得いってないのは、次の3点。


(1)功労者に対する処遇の悪さや対応の悪さ
→これは何度も何度も見ているので、たぶんベーシックな体質の問題・・・と思えてしまう。小村、井原、奥、久保、鬱積した不満が一度に噴出。

(2)ファン・サポに対する後手後手の説明
→強化方針がセットで出てくれば、ここまでのことにならなかったと思われる。これは、以下と密接に関連

(3)情報が必ずリークされて出てくる。
→アドバルーン的な意図的リークとは思えないものが大すぎ。
ここまで問題が炎上しているのに、さらにまた坂田・河合・清水の情報がリークされて出てくるのは、いったいどういうことなんだろうと、さらに問題を大きくする可能性大。


ただし、前回のエントリーで書いたとおり、下條さんが前に出てきて説明したのは悪くなかったと思う。その説明の内容はともかくとして。

ああいう機会が、全くの即応で開かれたというのは、合併以前ならあったのだが最近はなかったこと。

また、あれだけ酷いことを言われ続けながらも、ひたすら耐えて説明していた。
100対1の状況で対話するというのは大変なことだ。男にはひとりぼっちで戦わなければならないあのような場面もありうるのだ。
そして、これまで何度も下條さんにコーチや監督としてヨコハマに尽くしてもらったことも忘れるべきではない。


さて、震度でいえば、M7.0くらいの出来事が今回ですが、これに匹敵する激震は自分の経験の中では、浦和のダンマク落とし事件の時という感じになります。
あのときは、ハマトラ紙が抗議のために一時的に休刊し、対浦和をめぐる対応をめぐってコアも分裂したわけです。それがよかったのか悪かったのか、よくわかりません。
ただし、あれ以前よりは、コア同士もサポとフロントの関係も緊密になっているのが不思議なことです。

一方、振り返ってみれば、M7.0どころか、隕石が衝突して氷河期が訪れたぐらいのディープインパクトだった、フリューゲルスとの合併というのもありました。あれは深い傷として未だに残っています。


今回の一件、ここまで書いたとおり、手際が悪いと言わざるを得ないところはあるのだが、一歩ひいて冷静に見てみると、代理人を挟んで連絡やら契約期限ギリギリでの言い渡しとか、他のメジャーなプロスポーツならば当たり前に近い話のところにみんなカリカリしているところもある。
ましてや、欧州や南米の一線級のクラブチームならば、選手に直接契約解除を連絡するなんてことは、ありえない話なのではないか。

また、先週の時点で和司さんが「大改革する」と名言していた内容も明らかではない。
ほぼ間違いなく、高年俸の選手を放出して外人をとろうということなのだろうが。
このギャンブルに対して、いやその選択は間違いだ、という意見はありえるだろうが、逆に後から振り返ればこれが成功だったといえる日も来るかもしれない。

カズを日本に返した岡田武史の選択、カントナを切ったエメ・ジャケの判断。逆にベッカムを再び代表に戻さんとするカペッロやマクラーレンの迷い、その他いろいろ。

今回の強化の判断自体はいろんなところで書いているとおり自分は尊重したいと思っている。
オレはサッカーの素人だし、チームの事情も予算も人間関係も選手のフィジカルコンディションも情報を持っていないからだ。いかなる場合でも、チームと選手に関する判断は、強化の人や監督の方が正しいものにより近いと考えている。

だから、今回の問題はあくまでもその途中の手続きの話である。




さて、自分の友人がTWITTERでこんなことを書いていた。
(彼はもちろんマリサポではありません)


@soccerugfilez 浦和や新潟が観客動員に苦しむ中、2010年度Jリーグで唯一と言っても過言ではない順調な観客動員を実現していた横浜Fマリノスが実はこんなにチーム事情が酷かったとは思わなんだ。数字だけじゃわかんないもんだねサッカーって


これを見て、よそからこんなことを言われるくらいなら、逆のスタンスで行くべきかと思いだした自分がいる。

雨がどんな強かろうと、波がどんなに高かろうと、それでも前に進まなければならないことは、冷静になってみればわかることだろう。
強い意見や抗議はあっても、それでも未来の可能性にまとめながら、基本姿勢はひとつもブレることなく、進めていく必要があるのではないか。

そのため、この大雨の後に、さらに大地がさらに固まっていくことを視野に入れていき、全くブレることなく動いていく必要もあるのではないかと、考えている。

いずれにせよ、明日あさってといろんな人と話せる機会もあるので、そこで皆の意見を聞いてみたいと思う。



以上、ハマトラSNSで二回にわたって書いた日記のまとめ。
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今、仕事終わったので、まとめてみます。


ことの前半はココ

屋根下の旅ちゃんブログで。

なんにしても、こういう話で何も打ち合わせもせずに、無言のままで集まった連中は偉いと思うな。


さて、まず自分のスタンスを説明すると、選手の出入りは致し方ないものと考えている。

ただ、これが松田となると別の話で、報知のすっぱ抜き見るかぎりでは、あまりよろしくない扱いを受けていたとわかるわけで、これはなんともはや。
それでも、自分はなるべくエキセントリックにならないように努めていたところで、MTから入電。

ここで山瀬兄のブログでの書き込み内容を知り、最初の説明会(?)で解散した後にも、まだ居残っている連中が、今度は山瀬の契約解除について説明を求めて、かなり荒れているとの情報を得た。
おおよそ予想がここでついたので、しろうくんに電話すると、やはりマリノスタウンにいるとのこと。

ここで仕事をキャンセルして、急遽マリノスタウンへと向かう。


すると、これまで全く見たことがない光景。
コア部分の主要グループメンツはほとんどそろっていて、さらに下條さんに説明を求めている状況。

エルゴラの藤井くんが他の記者とともに詰めていたので、情報聞いて、さらに何人かの連中に聞いて、大荒れになる前に事態収拾を図る方向に行こうと決心。
下條さんは話している内容はともかくとして、これだけのサポの攻撃相手に、よく前に出てきてくれたと思う。
もちろん、これは本筋の話とは全く別なことなのですが。


基本的に、選手の入れ替えや強化の方針は理解していこうという考えはあるにしても、あまりにも10番とミスターマリノスに対する扱いが酷過ぎるという不満があって、それが鬱積したこれまでの選手の取り扱い(井原も小村もそうでしたね)が、爆発したという感じです。
オレはこんなにコア部分がまとまって怒って、クラブまで押し掛けているというのを、この10年ではじめてみました。もちろん、自分もその一人ではあるわけですが。そして、みんな泣いている。

それでも、こんな不毛な吊るしあげみたいなことやっていても仕方ないだろうと、以下の要求をまとめて、それを了承してもらい解散。
おおよそ1時間半。大荒れでした。

以下、ハマトラSNSで速報であげた内容。


【結論】
・おおよその抗議内容や意見はクラブに伝わったと思う。 
 (それがキチンと理解されて伝わったどうかは別として) 
・これ以上やっても堂々巡り。
・ここにいるのはコアの50~60人に過ぎない、サポはもっと多くいる。
・よってサポ全体に向けて、今後の対応と事情をフロントは説明する。

【要望事項】
(1)次回のホーム最終戦までに、なんからのステイトメントを出してもらう。
(2)ホーム最終戦では、試合前になんらかの形で下條本部長以上の人に説明してもらう。
(3)それが納得いかないものであれば、別途の説明の場を設ける。
(4)以上がかなわなければ、サポは何らかのアクションを行うものとする。


20時30分くらいかな。60-70人集まったマリサポにも同意してもらい(だよね?)、ここは解散しました。



つけ加えておくと、報知の記者から、MTにサポが大勢集まっていると聞いた松田は、それにありがたがっていたとのこと。
 


みんな期待しているかも知れないけれど、今までのパターンでいうと、このタイミングで戦力外通告された選手は、次の試合には出てこない。練習も、前例だと本日からはいない。

けれども、少なくとも松田は出てくるのではないかと思う。むろん、それを止められなければ。






・・・と、ここまで書いていったんアップしたところで、スポーツ新聞各紙から、坂田・河合・清水、他1名も契約更新せずとの記事。
昨日の段階では、松田と山瀬だけじゃないでしょ、と各所と情報交換してましたが、その通りになってしまいまた。

強化の方針にはオレは口出しする資格はないけれど、せめて、皆をキチンと送り出してあげてほしい。
 

ブログのtwitter連携がうまくいかないので、テストがてら・・・。



ハマトラのアウェイ専用号の原稿のために、一時期は自分のバイブル的な存在だった名著「狂熱のシーズン ヴェローナFCを追いかけて」の名言集みたいなのをほじくりだしてみた。

今でもいいな、コレ!!




「サッカースタジアムは、巨大な建造物の中で裏表が逆になっている数少ない場所のひとつである。楕円形の競技場は世界を排除し、その神秘を秘伝を授けられたものたちにしか明かさない。
 テレビでさえそれを犯すことは出来ない。捉え始めることさえ出来ない。」

「ヴェローナがローマやナポリやレッチェやレッジョ・カラブリーアでプレイするのを観ること、それはあまりに常識はずれの道楽だ。
(中略)『ようやく本物の旅行記を書くことができそうだ』」

「ファンは選手たちに、自分たちが唯一持つ極めて肯定的なもの、つまり『一体感』を与えなければならない。
 (中略)結局のところ、試合が起動するためには、ここにいる荒れ狂う若者たちを必要とすること(中略)
 興奮の注入、あふれ出すリビドーと歪んだ市民意識としての誇りの大量注入が必要なのだ」

「ブリガーデは讃える、選手でなく、監督でなく、オーナーでなく、ただカラーだけを」

「選手と監督は来ては去る。だけど、俺たちは永遠、永遠だ!」

「サッカーが単なる美学的体験ならば、ボクはこれを楽しみ、賞賛することもできただろう。
 しかし、出来なかった。」

「夢を見続けろ」

「サッカーはコトバと暴力の間の曖昧な中間地点を提供する。」

「エラスはひとつの信仰だ。決して、何故と問いかけてはならない。」

「エラス、ラ・ノストラ・ウーニカ・フェーデ 俺たちのただひとつの信仰。」

「無秩序。サッカーとは、サッカーがそうでないなにか-何か純粋のもの-になることを絶えず求めている文化的雑種である。
 ファンたちは、サッカーが信仰であることを望み、それが異なる体験の領域への逃亡という狂気を提供することを望む。
 しかし、儀式を保証する神なしでは、完全にそうはなれない。
 一方で神殿とその所有者たちは、狂信者の熱を冷まそうとする。試合の核心はビジネスと知っており、それがビジネス以上の
ものになるのを好まない。
 テレビの放映権と現金のための、武器をもたない徒歩の青年たちのあいだの闘争。」

「群集はエラスを信じる。だが、信じていない。夢を見ることはできる。だが、天国に行くことを
本気で期待しているわけではない。」

「サッカヘでは、いずれにしても空間は完全な領域ではなく、儀式は健康的な戸外のエンターテインメントという
ありそうもないアリバイを常に必要とする。だから、暴力は繰り返しおこり、おそらくは避けられない。」

「栄光をもたらした探求、過去の偉大なる幻想-軍事的な武勲、芸術的努力-は実際には過ちだった。
 なぜならばすべてなんの価値もないからだ。
 遊戯の試合以上の価値はない。
 僕らがもっとも賞賛するもの、それは誤って意味を与えられたものから生まれる。
 別の言い方をすれば、全てに意味があるのと同じように、サッカーにだって意味はある。
 だから、サッカーを支持しよう!
 ほかにはなにもない。
 この解釈では、僕らの国技は現代のデカダンスに咲く熱帯の花だ。」

「人生は軽蔑すべきものだ!
 だから若いスポーツマンよ、それについては考えるな!心を空の高みにあげよ!
 自分のために、(だが、僕らのためにも!)そうしてくれ!」


「イタリアでエラス、ヨーロッパでエラス、世界中でエラス、永遠にジャロブルー。
 この輝かしい嘘を胸に、僕らはスタジアムへと出発する。」

「ファンたちは自分の声を聞くためにくる。
 声の戦いに参加したい。
 選手は僕らの代表かも知れない。
 だが、本当の戦いは、2つの街の間でおこなわれる。
 戦争のパロディのなかで、一個のボールが村と村のあいだをいったりきたりする。
 これがサッカーの起源ではなかったのではないか?」

「日曜日、俺たちはもう一度クルヴァスッドの神話的な階段わ昇るだろう!
覚えておけ、俺たちはフィールドの13人目14人目、15人目の男にならなければならない。
 歌え、ブテイ、歌うんだ!
 クルヴァの大砲に耳を傾けよう!
 永遠に、そしてエラス・ヴェローナただひとつ!」

「イン・カント、歌の中に。
 イン・カント、魔法。
 歌の中にはいることは、呪いの中に入ること。
 音楽の虜になること。
 個人の人格と差異とは一時的に停止され、自分の重みをリズムのくびきの下に投げ出し、
 歌を牽引する役畜のように、ひとつに結ばれる。」

「日曜日、俺たちは本当に狂ったように歌わなければならない。
 選手たちに、走りながらピッチを掘り返すぐらいのやる気をださせなきゃいけない。」



すばらしい・・・。
リーグ戦終盤で1-0リード相手9人で残り10分ならば、ボールキープで時間経過を待つのは当たり前の戦術だと思うんだけれど。

なぜ、そんなことを書くかといえば、昨日の話。

だいたい呑んで一日過ぎれば、おおよそのことも忘れてしまう単純な性格なのだけれども、起きて依然としてまだ腹がたっているのは、表面上の出来事だけではなくて、そこに、いろいろと内在するものがあるということなんだろう。


狩野の件は、挨拶に来たときにコール出す出さないの話をヒロアキが書いているから、そっち参照されたし。

そのうえで、書いてみると・・・



(1)昨日の試合残り10分は攻めるべきか否か

セリエだったら、9人になって1-0ホームだったら、たぶん10分間ボールまわししているか、そのうえでのカウンターだけを狙うでしょう。

11人対9人で、2人優勢だからといって、絶対的に有利なのがサッカーという考え方は、サッカーわかっているの?というレベルの認識にすぎません。

残り10分、オ~レ~でボール廻し続けるだけの「ちゃぶる」方法というのもあるわけです。そして、自分はこちらの方がリアリズムだと思う。

ちなみに、これがもし2-0以上だったら話は別。
ここは攻めまくっていいと思う。

(いつだか今シーズンに松田がこれと同じシチュエーションで攻めろ!と味方を怒っていたのを覚えているでしょうか?1-0と2-0、これは全然意味が違うのです。)

この認識が選手・監督・サポーターに統一されていたのか極めて疑問。

あっさり、9人の相手だから攻めまくれ!とだけの認識は大いなる間違い。
しかも、ACL圏内を狙うための勝ち点3はどうしても欲しいところなんだから。



(2)じゃあ和司さんは間違っているのか

しかし、これまでたびたび和司さんが言っているとおり、リーグ戦はお客を楽しませてナンボという考え方もある。

さらに、和司さんのサッカーの理想に対するところは非常に高いので、9人なのに1-0でOKとかありえねえ!という意気込みはとても好きであることには変わりはない。
これについていこうと思うけれど、それでもお客を楽しませるというテーマに高いリスクがあることを、みんな理解しながら支持しているのだろうか。

オレはあそこから2点3点とるよりも、ACLの可能性が大いにある現時点では、かっこ悪くて卑怯ものだろうと勝ち点3を確実にほしい。

たぶん、あのまま攻めて、カウンターで同点にされたら議論は分かれてくると思う。

いずれにせよ、「攻めろ!」という考え方はピッチの上には伝わってなかった。



(3)悪いのは狩野だけか?

神戸も何故だか9人になってしゃにむに攻めてこない。
果たして降格ラインにあるチームが退場2人で、あんなに戦意喪失するのはいかがなものかとも思うけれど、まあそういうチームだから仕方ない。

そのため、無理してボールにチャレンジしてこない神戸に、ボールキープで行くのは、そんなに間違いじゃない。
自分はあのへんのシーンをみて、それでOK、ずっとボールを廻し続けろと思っていた。
攻めろ、攻めろっていうのは、サッカー的にはリアルではない。

しかし、それでも和司さんは行けということだった。

チーム全体がボールキープで、相手の出方で即効という姿勢で、それを途中交代の狩野はもっとも忠実にやっていた。しかし、それは狩野だけではない。

アジアカップ2000の時の決勝で、トルシエに後退させられた柳沢を思い出させるような、懲罰交代に腹がたつのは当たり前の話だ。


(4)ユニ投げて帰るのがそんなにダメか?

オレは人間的なシーンだと思った。

twitterで誰かが書いていたんだけど、プロ野球だったら、途中交代させられて、チームのエンブレムが入った帽子をなげつけるなんて、当たり前の話で日常茶飯事(だと思う)。

バットやグラブやロッカーは、こういう時のための欲求不満解消グッズになっているのはお約束。
サッカーのユニが、それらに比較して、そんなに大事とは自分には思えない。


そして、たぶんフロントに諭されてもどってきて挨拶をした狩野は、いじらしく思えた。
コールがゴール裏のコア以外から出てくるのは極めて当たり前の話。

選手は、ウイイレのパラメーターやキャラクターではない。


なお、自分は和司さんだったら、ユニ投げようとなんだろうと、また狩野は使うだろう、逆にそういうことをした人間をむしろ、やる気の反動として理解するだろうと思ってましたが、今日の練習試合見ると、そういうことになっていそうですね。




(5)そのうえで意見がわかれるのは仕方ない

その狩野に、「がんばれ!オレはまだおまえを支持する」という意味でコールを出すか、「そんなんじゃダメに決まっているだろう、ふざけんな」という2つの意見が出るのは極めて自然。

だから、ヒロアキには、コール出す出さないはそれぞれの判断だから仕方ないとしても、出すということも選択肢としてはアリだし、それを尊重するのも必要だというようなことを、試合後に伝えたわけである。

ちなみに、自分が脚立にたっていたら、ほぼ間違いなく狩野にはコール出しをしていただろうと確信する。もちろん違う意見もありなのは承知の上で。

もし、狩野が最後に着替えた後で挨拶に来たときに、ゴール裏がシーンとなっていたら、それはそれでオレはおかしいと思う。
それでもなおがんばれ、逆に、オレは許せないというのに分かれて当然で、それが自然なゴール裏だ。しかもあの程度の話で。




こういう複雑な問題で、かつそれぞれのサポーターとして哲学のぶつかりあうようなシーンに対して、ヒロアキのみが責任おっかぶっているようなのが、まず一番イライラするところ。

そしてそんな微妙なシチュエーションに、ほれみたことかと無責任なことを書いて、どっちに転んでも自分は正しいというようなことを書いている一部の人にイライラ。

さらに、選手挨拶までのあたりのタイミングで頭上から爆音で音楽がかぶさってきたり、その他事務的なことでもいろいろ噛み合っていないことがあったりでイライライライライライラ。




そんなわけで、昨日はヨココクのフェスタでペルーの屋台でしたたかに酒を呑み、久々の庄やで呑み、べろべろで、jihoと工作員からもらったゆらゆら帝国のDVDのことをさっきまで忘れていましたよ。




まあ、負けてこういうネタだと大荒れに荒れるから、勝ったときに問題点とか課題を浮上させて、みんなで考えるというのは、後に必ずつながることになると思う。

ハマトラSNSで、こんなタメになる話を見つけた。

ネタは、味方のPKのときに、集中力を切らさないために「お~~~!」とか、声を出して煽らないようにする理由ですね。


◇観客が作る力(アメフトの例より)・・・こあだんぷさんの日記より

アメリカンフットボール(以下、アメフト)の場合、
観客はクラウドノイズを利用して、敵チームの邪魔をし、
味方チームには円滑に物事が進むように協力している。

具体的には、敵チームが攻撃する場合には、耳もつんざく
大きな雑音を発生させてワーワー大騒ぎする。しかし、
味方チームの攻撃時には、応援は応援で大騒ぎするものの、
とあるポイント、あたかも、サッカーでPKを蹴る瞬間のような、
ときには、観客全員がシーンとすることで協力しているのだ。

これはなぜかというと、アメフトでは元々予め作戦を練って
いるのだが、状況によって作戦変更する場合がよくあり
(Audible という)、この作戦変更を仲間に口頭で
伝えているからだ。

味方にはこの作戦変更がうまく伝わるように静かにしているが、
敵にはコミュニケーションを寸断して混乱のうちに試合を
はじめさせようとして、観客は、make some noise する。

応援とは違うが、観客が作る力。


こういう話は実にタメになるねえ。

そういうわけで、こういうオーウェンの話は、どんどん議論していくべきだと思うんだよね。

ネットでそういう話が出てきて、ハマトラでもtwitterでもやりあっているのを見かけるときがあるんだけど、最近はむしろそういうの少ない。もっともっとやるべきだと思う。

そういう議論ややりとりが、まわりの人間に考えることを促すだろうし、それで広がった応援のフィロソフィーというのは、決して無駄にはならない。
なぜなら、最終目的は皆一緒だから。
それに至るテクニカルな問題とか、解釈論は、いくつか選択肢はあってもいいと思う。


しかも、その考えた方は、決して永遠ではないから、時代やファン・サポーターの気質や、対する選手やチームの状況によっても変わっていく。決して正解はないんだから、その都度その都度、一番あったものを選んでいく、絶え間なき思考を積み重ねなきゃならない。


決して古い哲学がいいとは限らないし。それはその時代にフィットしたとしても、今ベストのものとは限らない。

まあ、いいっぱなしはダメだろうけどもね。
一番ダメなのは、批評や批判することが目的になっていることね。匿名のカスの意見とかはもっとも現実問題の解決からはほど遠い。

本当にすごいのは、実際に物事を現実化するということ。
言いっぱなしや、責任もたない言論なんて、害以外のなにものでもないんだよねえ。


そんなわけで、新しいムーブメントをそろそろ歓迎したい頃ではあるんだけど、みんな元気ないね。
面白いことがもっとあってもいいと思う。



そんなわけで、天皇杯も当たり前に順調に鳥栖をぶちやぶり、元旦までの階段を一歩一歩上っているところ。
もっと楽しく、面白くしたい。そのためには、新しいリアルが必要ですよ。




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ブリのアキト、誕生日に枡テキーラで撃沈の巻。

年の数だけドーナツ食わせてもらいました、寝ている間に。

本記事執筆現在、まだシェバでゲロってます。

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